昭和41年08月05日 朝の御理解
昨日、ある方が夫婦で参って見えられて。何時も、まぁそれほど参られると言った様な事はないんです。それが、矢張りあの夫婦で参って、夫婦でお伺いをしなければならん、と言うので、まぁ参って見えたんだと思うんですけれども。息子さんが勤めに出ております。けどもお父さんが段々年を取って行かれるし、その後を継がなければならんと言うので、今までかつてそんな事言うた事ないんですけれども。
昨日はその子供さんが、ぼくは勤めを辞めて、そして、お父さんあんたの商売を僕がさせて頂こうか、とまぁ言われたと言う様な事で。まぁ両親も大変喜ばれると同時に、先ずは御神意を頂かなければ、出来んから、御神意でも頂いてから決めようというので、まぁ夫婦揃うて参ってみえたんですね。私もそれはもう久保山先生と友達くらいですから、そうですね、そこの息子さんに譲られて、まぁいうなら、隠居の身分。
そして、一応あたなはもう信心係。あのお願い係、とかお礼係という風で。あたなは信心の方へ打ち込まれて、そして息子さんにそうして貰えたら良いですなぁ、とこう言おうと思うた私は。そしたらあの神様から頂きます事がですね、それ程私は、まぁはっきりは申しませんでしたけど、大体の事を申しましてからその後に、はぁこの事も伝えとかなきゃいけんのじゃなかったろうかと思った事なんです。
あの日章旗ですね。日の丸の旗。日の丸の旗が、もうそれこそはたはたとこう、はためいておる所。いわゆるバタバタしておる訳ですね。ですから、もうその、日の丸が風にあおられておるという姿は実に勇ましいもの。是はどうでしょうかね。日の丸の旗がたっておるけれども、その日の丸の旗が、風もなぁんも吹かずに、だらぁっとこうしとったら、あんなん見れるもんじゃないですよね。勇ましさもなかなければ、いわゆるその、美しさもない訳なんです。それで私が、あなたはね、とにかく。
お礼ば申し上げんならん事がありますばい。まぁあなたこの年で、あなたがもう配達もなさりゃ、仕入れもなさらんならん。そして、さぁ手形といや、あのその手形の事でもうバタバタしなさらなきゃならん。もうそれは、本当によくおかげを受けられるんですよ。それでもう手形・手形とお願いをなさるんですね。それでまぁ、バタバタなさるんですけれども。そのバタバタしておると云う事。バタバタされておると云う事。
それがあなたに、一つの勇ましさを作っておるのであり、または美しさを作っておるのであり、いうなら健康なら健康というものを、そのバタバタがこう維持しておる様なもの、支えておる様なもの。して見ると、あんたのバタバタは素晴らしい事ですから、あの、そのあなたがバタバタしておられる。ひょっとすると、あなたそのバタバタをやめられたら、もうがったりしてしまいなされるかも知れん。だからそこんところを、一つおかげ頂きなさらんといけん、と云う事まで私はお伝えしたんですね。
そして、ははぁここの所は、ほんに伝えとかなきゃでけんと思った事はです。その日の丸の旗と、その竿とが、こう結んであるんですけれどもね、それがピチッとその竿に引っ付いた様に、こう結んでないんですね。少しこう、緩みかけとる。こう風が吹いておるもんだから、見ているとから結びしちゃるけれども、ほどけはせんだろうか、と云った様な感じの所でしたんです。頂いたのが。
それで私は思うのにですね、誰でもその。バタバタする事だけが能ではなくてもです、もうバタバタを止めてもです健康を維持出来る、バタバタをやめて、いや、止めさせて頂いて、楽な身分にならせて頂くと云う事も有り難い。けども楽な身分になった途端に、信心の方まで緩んでしまうと云う様な事では、本当にガタガタとおかげを落とす様な結果になるだろう。だから、今バタバタさせて頂いておるという事に。
お礼を申し上げると同じにです、もういっちょこの、言わば竿と、その日の丸の旗との結び直し。神様とあなたというものをもっと立派に、きちっと、どんな旗がその風が吹いても、離れんで済むだけのです、まぁちっと是も短くです、今まで毎日お日参りなさっておられるならばです、お日参りそのものは何であっても、内容がです、もっと神様とピッタリ。この密接な信心というものを、先ず身に付けられて。
譲られてもても遅くはないと。又辞められる方も別に、定年になられたと云う訳でもなからなければ、向こうが、しくじられた訳でもないのであるから、そこんところお繰り合わせを願ってまぁ丁度よい時期というものを頂きなさるが良いと言うてその、まぁお取り次ぎさせて頂いたんですけども、その中から思うんですね。神様が何時までもです、そりゃあそのバタバタさせるという事だけが神様の思いではない。そりゃあ本当に誰が見ても楽な身分になられた。
本当にまぁいうならば、まぁご隠居さんの身分にもなられて。本当に、安気安穏の生活もさせて頂ける、という程の、おかげを頂く事こそ。むしろ神様が願っておられる。けれども、安気安穏になったら、言わば信心の方まで、安気安穏になってしもうちゃならんというが、神様の願いらしい。願いと私は思う。もう本当に、もうお前が、店を一つやってくれる様になったら、私は、本気で信心に打ち込んで、本気で一つ、私が、信心係りと云う様なです。
おかげを頂かせて頂こうというものにが、本当に腹が決まった時に私はお許しを頂いたのが、ほんな事じゃろうとこう思うんですね。その中から分からせて頂かなけれればならん事ね。成程難もみかげ。バタバタする事もおかげ。けれどもその誰が見てもおかげ。信心がない者が見てもおかげ。はぁ信心すりゃあぁいう楽な身分にもなれれるんだと。という、私はおかげを頂く事こそ本当は素晴らしいおかげであろうと私は思うのです。例えばまぁ借金なら借金に苦しんでおる。だから一生懸命お参りをしておる。
だから、その借金のおかげで、その信心が出来ます、とこういう訳なです。だから本当に、その借金のおかげでです、信心が出来ますならば、借金のおかげで、お徳が、お徳を受けましたと言う所まで、おかげ頂かにゃ駄目だという事。もうお徳を受けさせて頂く、それから先はもう神様も安心。まずその人が信心を落とす様な事もない。どう言う神様と絶対不離なもの。
もう絶対なもの。離れられないもの。という事になって参りましたら、いよいよ有り難い。その中からです、今私が申しました様に、まだ他に色々と御座いましょうけれども、ほんにもう有り難いと思うております。思うとるだけじゃいかん。ですから例えば、年をとればとる程、もう信心の方にだけはです、もういよいよ本格的になる。もう信心、その信心だけにです打ち込めれれる、言わばその内容というものが出来た時で す、神様も安心してバタバタもせんで済む様なおかげを下さるんだという事を、私は感じるですね。
どうぞ。